カルチャーを駆け抜ける異端児達のエコー

展示概要:https://calmandpunk.com/

ストリートカルチャーという商業化されたタームが行き届かない深層で生きてきた2人に共通するのは、ストリートの生き様だ。地域性や環境に対するカウンターが強いほど感覚は研ぎ澄まされて個性を際立たせる。時代の風になびかず愚直に日々をやりこなしながら出会ってきた物事や感覚を表現へと還元させながら全く違った環境で過ごしてきた2人

―――赤木楠平は1977年に生まれ、幼少期をサウジアラビアやシンガポールで過ごした。日本大学芸術学部写真学科を卒業、渡英後2008年に帰国。タカヤマユタカは1980年、京都に生まれ高校を中退し、東京へ、そしてパンクやスケートに傾倒しながら音楽をはじめとした様々な表現活動を重ね、現在は京都在住

―――彼らは数年前に出会い、互いの創造性を礼賛しながら自然と生活や作品に干渉し合うようになった。彼らにとって制作行為そのものがアートであり、生きる限り完成を迎えることはない。有機物のように混ざり合う2人の創造性は一見脈略がないようでいて、主観的な文脈をなぞらえながらまたどこかへ向かっていく。変化し続けるアートの一瞬を捉えた作品の数々はある種、写真という形態にあらずとも、その概念を捉えていると言える。パンデミックから大きな節目を迎えた2022年7月。現在のデジタル社会を暮らすアナログ時代の体験者による作品群から発せられる符号を感知できるだろうか。ギャラリストのNoriを交えた本インタビューで、彼らの有機性と現在を感じてもらえたら嬉しい。

赤木楠平の幼少期

年齢・場所の全てが型破り赤木楠平の幼少時代

赤木楠平(以下、楠平):職業はカメラマン。写真家というよりもカメラマンでありながら半分アーティストのような感じで。そこを今回の展示ではっきりさせたいなと。

――カメラマンと写真家という線引きの定義とは?

楠平:カメラマンはカメラ小僧で毎日、写真を撮ってる。写真家はコンセプトとかを考えて作品を作るアーティスト。僕はカメラ小僧よりで、脳みそはちょっとアーティスティックな方かなっていう感じです。

――幼少期はサウジアラビアにいたんですよね?

楠平:サウジアラビアやシンガポールに3~4年くらいの周期で行ったり来たり。大学を卒業してからはロンドンに行きました。小1の時にあっちの幼稚園に入ったり、中学校を卒業しないでみんなが中2の時にシンガポールの高校に入ったり。サウジアラビアの日本人コミュニティは小さくて、全部で200人程度だったし、異文化すぎて宇宙に行ってるような感じだった。僕、英語も喋れなかったから。80年代の当時は観光客も入れなかった時代だからね。

――シンガポールはどうでした?

楠平:ハイスクールのときで、毎日スケボーばっかり。あとはレイブカルチャーもすごかったね。インターナショナルスクールの先生たちも近くのタイのパンガン島とかに遊びに行ったりしてたんだよね。俺の行ってた学校はインターナショナルスクールの中でも一番バカなところでメチャクチャなやつが普通にみんなで遊んでた。

Nori:カメラはいつからですか?

楠平:犬が好きで、ドッグショーに連れて行ってもらった時があって。僕コレクション癖があったから、ポラロイドカメラで撮ってたのが1番の思い出。高校生になって初めてカメラを買ってもらって自分でスケボーとかを撮るようになりました。

Nori:その後日本に帰ってきて、大学に行くんですよね。

楠平:そう。本当はスケボーショップやろうと思ってたんだけどね。彼女についてシンガポールから日本に帰ってきて、大学の帰国子女枠っていうのがあるのを知って受験に行ったら、試験場に俺しかいなかったの。文章は全部ひらがなで書いた(笑)。4年間行って、ロンドンに2002年ぐらいに行った。最後、銀行で自分の口座を作ろうかと思ったらパスポートが切れてるよって言われて。ロンドンの大学院にも受かってたんだけれど、自分の国で自分の表現活動をできたらなって思って帰ってきたの。

左: 赤木楠平 右: タカヤマユタカ

ストリートから文化の先端を体感
タカヤマユタカと赤木が出会うまで

Nori:次、ユタカくんお願いします。

タカヤマユタカ(以下、ユタカ): タカヤマユタカです。1980年生まれで、出身は京都です。小学校はドッヂボールとミニ四駆とカマキリを戦わせるのがすごい流行ってて、、、

Nori:パンクを好きになったのは?

ユタカ:それはそのかなりあとの、中学校終わったくらい。先にハードコアがすきになりました。もともとその辺が好きな友達がいて、そいつにヌンチャクっていう日本のバンドを教えてもらって。ハードコアなんだけど今っぽい、ハーパンにTシャツのNYスタイルみたいな感じでめちゃくちゃかっこよかった。その頃にスケートもはじめて、そしたら自然と絵を描いたりする友だちが増えたりして、自分も落書きの真似事みたいのをしだしたりするようになりました。僕は洋服でも絵でもバランスとか色合いがすごく大切で、実際に絵を描き始めてそーゆーとこの感度がとても増しました。当時、高校2年で学校辞めて、ROBOT’Sっていう、まだ京都市内で裏原系のブランドが売ってない時代にそういうのを委託販売しているお店があって、おもろいおっちゃんがおって、そこの倉庫の横に住みだして。

Nori:家から追い出されたの?

ユタカ:親父と喧嘩してスケボーとリュックだけもって家出してん。寺町でしばらくホームレスしてて。ある日ぱっと起きたらリュックが盗られててスケボーしかなくて。それおっちゃんに言ったらそこ泊まってええよって言ってくれて、しかもそこで店やってもええ言うてくれて。それが高校2年くらいの、96-7年のころ。で、Tくんっていう友達と出会うんだけど、彼にヒップホップを教えてもらって、自分もラップを始めるんですよね。だからパンクっていうのは入り口のほう。竹下通りでボンデージパンツ買ってもらって、白に赤とグリーンのチェックが入ってて、夏でも穿いてたのは覚えてる。

Nori:その後、上京してどんなことしてたんですか?

ユタカ:最初はラップをしてたんかな。その前に、セックス・ピストルズが好きでセディショナリーズのファッションセンスとかデザインが超やばいと思って、何の計画もなくてイギリスに飛び立つんですよ。でも空港で学校中ちゃうんか、お前嘘ついてるから入れさせへんって言われたんやけど、カクカクシカジカでって伝えたらじゃぁあ3日だけやるって入れてくれたんです。その3日間でワールズ・エンド行って、シャツ買って、3日間グリーンパークでブルーハーツ歌ったりぶらぶらしてましたね。

行く前に、俺もう帰ってこうへんって言ってたから、みんな空港に見送りに来て泣いたりフォトアルバムつくってくれた子とかいたのに、3日で帰って来てたから部屋から出られなかったんですよね。あまりにも暇でTSUTAYAに行ったのを見られてたらしくて、電話がかかってきて「おまえ、居んのわかってるからな」って。それから親父のバイク屋ちょっと手伝った後に、当時付き合ってた彼女が芸能人になりたいとか言うので一緒に上京しましたね。

東京来たばっかりのときは、力仕事をやってたんだけど、全然おもろいやつと出会わないからカフェに転職したんです。当時は今みたいにシャレオツなカフェがなかったんでそんなとこにおもろい奴が集まってたんです。最初は原宿のオーバカナルに入ったんですよ。家具も注文も全部フランス語でめちゃくちゃフレンチな感じなのに、俺、ドレッドでタトゥー入ってて。でも面接が良かったみたいで特別に入れてもらって。そこで出会ったYくんっていう人とよく遊ぶようになって、彼は有名なトランスのレイブパーティとかのデコレーションをやってて、僕はそれに運転手でついていったりして、そんなパーティーライフで良くないものにも出会ったりして 、少しづつ東京の扉を開いていくみたいな。

――目論見通りに面白いところに飛び込むことができた

ユタカ:でも俺トランスはちょっと違うしもっとちゃう所行きたいなと思って当時渋谷にあったワイヤードダイナーになら可愛い子もおるから受けたろ、って面接を2回受けて、2回目で受かったんです。そこで面白い人といっぱい出会って、そこから音楽をバンドの方でやるようになって、ゆくゆくはライブやったりするんですけど。その後、系列店のセコバーに入って、10年間はそこでお世話になりましたね。

――当時はカフェやクラブが面白い人達がいる場所でした

ユタカ:恵比寿のMILKでもよく遊ぶようになって、パーティやらしてもらうようになったりしてワクワクドキドキが止まらない毎日でした。ずっとやってた音楽活動をやめた時ほんまは本屋さんやりたかったんだけど稼げる感じじゃないから何しようかなって。で、友達の紹介でSupreme原宿店で働きはじめて、渋谷店の立ち上げ直後にクビになって。友達のやってたhave a good timeで何年かお世話になって、その後デザイン事務所で働いたり、そこは大企業の会長が持つ日本庭園つくったりしてて、そんなとこにいきなりクリエイティブ・ディレクターとして入ったり、色々しましたね。東京では、スケボーとか絵とか、好きな人と結婚したり23年間ずっと遊んでた最後らへんに楠平くんと出会ったんですよね。

「A BOOK IS AS PRIVATE AND CONSENSUAL AS SEX 」

2つの混沌が出会い響き合う
有機的なコラボレーション

――出会いのきっかけは?

ユタカ:have a good timeを辞めるってなったときに、二子玉川に引っ越したんです。宛もなく近所ぶらぶらしてた時に、NISI(デビル西岡)さんっていう俺の好きなカメラマンで文字も描くスケーターがいるんですけど、BY CAFEにその人の板が置いてあるのを見て入った。

楠平:BY CAFEはBYっていう僕のやってるプロジェクトの一貫で、瀬田の交差点近くのギャラリー兼カフェです。

ユタカ:そのあと楠平くんと合ったら(故)林(文浩)さん(雑誌『DUNE』、LAST GALLERYの創立者)とか知ってて。 当時、白金のLAST GALLERYやhave a good timeに通ってたから、林さんに直接合ったことはないけど話はもちろん知ってて、楠平くんがその人と遊んでたって話ですぐ仲良くなって。楠平くんがある日、BEAMSのCULTUARTで作品を1枚出してみたらって言われて、ちょっとやってみようかなって書いたのがそこにも展示されてる『DANCE IN THE DARK』の作品です。当時から進化してるんですけど。

Nori:当時はユタカくんだけが描いた状態?

ユタカ:そう。その展示が終わって楠平くんが預かっててくれたんですけれど、BY CAFEに行ったらそれが逆さまにあってしかも描き足されてて。でもそれが嫌じゃなくて、あ、良くなってるっておもったんですよ。そこからお互いの家を行き来したときに描き足し合っていたのがいっぱい溜まっていって、時間が流れて。2人でライブペイントしたりとかもしました。

――お互いの家でどんなきっかけがあったんですか?

ユタカ:楠平くんちに絵を見にったらダンボールがいっぱいあって、その中を観るとすっごいいいもんがいっぱいあって。超かっこいいステッカーとか、置物とか額とか。行く度に箱を開いて、コレ欲しいっていうと楠平くんがいいよってくれたり、逆に俺んち来たらこれ欲しいってあげたり。そうやっていろんなアイテムが溜まってって、それでコラージュを作り出したんです。

――Noriさんが2人の作品に惹かれたのは?

Nori:楠平さんの家に絵を見に行った時に、コレ(ABSTRACT PRISONERの右側)とあれ(DANCE IN THE DARK)を観て、あれこれ楠平さんの絵じゃないなってモチーフが入ってて 、2人で作ってると聞いてまず興味が湧きましたね。楠平さんの抽象の要素とユタカくんの具象的なドローイングの混ざり具合って、混沌としてるんだけど2人の美意識が画面に出ていて、展覧会やりましょうよっていったのが1年前ですね。

「ABSTRACT PRISONER」

「DANCE IN THE DARK」

作品に封じ込められることで瞬間が動き出す

――2人で制作する時はテーマを設けてから描き始めるんですか?

楠平:テーマと言うよりも2人のできることをやってるという感じかな。僕の場合はカメラマンだから、そのときに遊んでる友達とか起きてることをキャンバスにぶちこんで、それを2人で解決してるというふうに僕は感じちゃってる。この作品にも共通の友達が作ってくれたシルクスクリーン版を“今だ”とおもってコラージュしたり、オーストラリアのプロサーファーのアーティストが僕のバッジをみて描いてくれたものを作品に使ったりしてるんだけれど、僕がドキュメンタリーっていってるのは、それらの同時に起こっていることを作品に入れ込むことで、その時を表現してるんだよね。ユタカくんは彼なりの方法論でやってると思う。

――ユタカさんはどのような方法論で制作するのですか?

ユタカ:楠平くんの色使いとか、ガガ ーって描いた線とかが俺が描いたあとにきて、それで大体の色合いが決まって。そこの上に俺が書いた文字とか写真を切ったものを置くと、それがいつもいい感じになるような気がしてやってるだけで、絶対コレがみたいなものはなくて。楠平くんの家にあるものを観てるからだいたい分かるんかな。最初の頃はいつ完成になるのかわからんけど、繰返し渡したり渡されたりして1年ぐらい作ってた作品もあって。

Nori:ここまで色と構成に対して近い感覚があって、お互い嫌じゃなくガシガシできるっていうのはめずらしいことだと思う。もちろん僕にとっても2人展ははじめてじゃないけど、この2人ほど直接的に人の作品に手を入れてるのは珍しい。

ユタカ:このコラージュも古雑誌から切り抜いた女の子を置いたらダンスパーティっぽくなったんで、いいなと思ってペタペタ始めたのが3日ぐらいまえからかな。この板が来た時このコラージュはなくて、楠平くんがシルクスクリーンを擦りだして絵じゃないなと思って、同じものを描き加えていくようことをしていきましたね。

ーーここで完成を迎えた作品も多いんですね。

Nori:もともと展覧会のアイデアとして、一面を作品で埋め尽くす壁と、整然と並べる壁を作ってコントラストを作りたいというのがあったんです。ユタカくんも楠平さんの家も、モノの密度が半端じゃなくて。モノがありすぎて、遠くから見ると何があるかぜんぜんわかんない(笑)。でも、近づくと、1つひとつが美意識やセンスが伝わるもので。その混沌の中に各々のルールがありそうで。そういう圧倒されるような壁をここで作りたかった。その時に作業のボリュームが大きくなることがわかって、だったらって感じでギャラリーで制作することにしました。最近カームアンドパンクも事前に作品の点数がカチッと決まってて、壁面シュミレーションしてっていうのが多かったんですけれど、ここでガシガシ何かが起きている感覚そのものを形にできたらと思って、1週間位作業してここでフィニッシュした作品がかなり多いですね。

楠平:これは、ここにシュークリームをぶつけようっていうのがあって。絵の具でシュークリームを作って投げたんですけれど、結構絵の具の粘りが強くてそんなに撥ねなかったんですけれど。

――何故シュークリームを投げようと?

楠平:去年の春ぐらいに停車中のベントレーに向かってシュークリームを投げたというニュースが報道されていて、その報道のされ方がなんか面白いなと思って。

――コラボレーション以外のソロ作品もあるんですか?

楠平:ソロもあるんだけど、それはユタカくんへのメッセージなんだよね。

「夜警」

ユタカ:俺のソロはコレよね、「ピザ・ラブ・ピザ・タートルズ」。作品名は「夜警」やけど。実はレンブラントから。  

Nori:この作品は愛のあるサンプリングだと思う。今回の制作中にみんなで集まって楽しみを共有しながら作業してるときの連帯感とグラフィティクルーのタートルズが重なって見えた。

「P like P」

Nori:これは、楠平さんの写真の捉え方が密接に関係してる作品ですね。スプレーで初めて描いた作品なんですけれど、3分で仕上げちゃったんですよ。僕はこれを写真っぽいと思うって楠平さんが言ってくれて。コレのポイントは2つあるんですけど、黒い粒子で描かれてるっていうのが白黒写真と同じで 、あと3分という時間ですね。写真って、瞬間を切りとるメディアで、偶然性とかドキュメントとか、そういう言葉や表現があるけど全く独自のやり方で 楠平さんはそれをやってるなと思ったんですよ。

楠平:写真の方法論が身体に染み付いているんだとおもうんだよね。カメラマンって身につける運動だから。自分が何をしていようが作ろうと思うとあっちからやってくる。

設営中の様子

はたして「BOb」とは何なのか。

――展覧会の表題である『BOb』とは、どのような意味なのでしょう?

楠平:ユタカくんのニックネーム(子供達用)です。

ユタカ:僕、初めて会った子供達には「ボブ」って名前で自己紹介してるんです。そのほうが親しみ持てるかなと思って。今回の展覧会は楠平くんが「ボブだから」って言い出して。どんどんと「ボブ」とか「ダンス・イン・ザ・ダーク」とか「セックス・ピンク」とかのワードがぽんぽんとでてきて、それを落とし込むようになったのが1ヶ月前くらいから。だから作品が最後までどうなるのかわからないけど自由にやらせてくれたのが、Noriくんで。おととい作り終わったんですけど、汗だくて手伝ってくれたNoriくんとか仲間にも帰ってから感動しながらありがとうってメールしたりしてひとりで熱くなってたりして。

Nori:俺も胸アツでした。

楠平:「BOb」っていうのは、サウンド・テキスト・イメージ。日本語ってサウンドが大事じゃないですか。感じるしバイブレーションだし。アルファベットの丸っぽいボブって上から読んでも下から読んでも「BOb」。そのサウンドから出てくるイメージがこの展示全体。僕も「BOb」になりたい。僕ももう40後半になってきたんで、作るだけじゃなくて、コレはかっこいいよ、かっこよくないっていう棲み分けをちゃんと知らしめしていきたい。自分が今やってる表現に影響を与えてる先人たちがいると思ってて。例えばNISI(デビル西岡)さんとか。僕、シンガポールでNISIさんに出会って、その時はガキだったからすぐ仲良くなったわけじゃないんだけど、変な縁があって。あとは、日本一の編集者だと思ってる御共さん。林さんも御供さんに憧れてたと思う。あとは、マドモアゼル朱鷺ちゃんっていうクリエイティブのシャーマン。僕の世代が彼らを見ていた最後の世代だと思ってて。その感覚とリアルとエネルギーを繋げられる最後のチャンスだと思ってる。どんどんダサくなっているのが本当に嫌だから何がなんでも盛り上げてボブっていたい。

Nori:ボブる。進行形(笑)。でも、確かに、俺は楠平さんとユタカくんの制作を横で見てて、画面の中でも外でも制作場にしてたギャラリーでも、外でも自分の周りの起きてることに対して反応して手を動かし続けてるような印象だった。「常に何か起きている」ことをユニークな方法でドキュメントしてる。

楠平:絵や写真を撮ることだけが芸術ではなくて、存在自体が表現者である、行為がアートであると思ってるから。描いたものを飾ってそれがアートっていうよりは、常に起こしていることが個々にあることにつながっていて、それが地続きになってる。だから起きた瞬間のことを切り取ったけれども、それだけが 完成形というわけではないんだよね。

Interview+Edit: Yuka Sone Sato
Photo: 竹久直樹 藤江 龍之介 JAY