UPCOMING EXHIBITION

岡田舜 個展「Ut0p1a」

会期

2022年8月6日(土)〜8月28日(日)
※ 水曜〜土曜、最終日曜日開廊 

営業時間

13:00-19:00

ご来場に際して

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*状況に応じて、会期・営業時間の変更する可能性があります。変更の際は、ギャラリーウェブサイトとInstagramにてお知らせ致します。

CALM & PUNK GALLERY では、8/6(土)〜28(日)にて、岡田舜による展覧会 「Ut0p1a」を開催します。岡田は92年生まれ、ファミコンの画面とバグを主な題材に油絵を描く画家です。2019年から毎年一度の個展を行っており、今回で4回目になります。今回の展覧会では、異なる画面、複数のキャンバスを繋いで1つの絵画にすることを試みた新作群を中心に構成され、岡田作品の中でも象徴的な「砂嵐」なども展示されます。
自身の体験と絵画探究を重ね合わせ、絵画史に連なることに挑戦する岡田のキャリアにとっても重要かつ意欲的な本展を是非ご高覧ください。

アーティストステートメント

ファミコンのバグった映像を初めて見た時、すぐにそれをキャンバスにうつそうと直感的に決めました。私にとってバグは初めて体験するものであり、映し出された映像はまるで完成された絵画のように見えたからです。しかしその映像をうつそうとすればするほど、なにかが抜け落ちたような画面が出来上がるのです。
 私はその穴をふさぐように、生乾きの絵具をぶつけたり、画面をひっくり返したり、ずらしたり、さまざまなアクションをもって自分自身を混乱させてきました。そうする事でうつすなかで無意識のうちに行っていた絵画的操作が全てが明らかになり、否定されるのです。そして時間が経ち、混乱から回復してその絵を冷静に鑑賞できるようになった時、やっと私は筆を置くことができるのです。
 生活の中でも人間は唐突に事故や失敗と出会います。その時人は混乱し、前後不覚、判断不能な状態へと突き落されます。そして回復し、新たな基準を獲得して日常へと戻っていく。もしかしたら、私の制作はそのような運動の狭間に入っていくことに近いのではないか。ふとした瞬間にあらわれる、日常の中に潜むバグと似た感覚を。チラチラと現れる、錯覚に似た感触を。確かめる度に、そう思うのです。

ファミコン絵画のプラグマティズム
―岡田舜の絵画制作について
市原研太郎

 日本の現代絵画が紛糾している。それが紛糾して見えるというのは、明治以来延々と続く欧米の動向のタイムラグのある受容(模倣)を棚に上げ、未完で未熟な日本のモダンアートのプロジェクトを練り直して歴史の基礎を固めたり、盛況を極めるマーケットに迎合してアートの主流を僭称し、プロトタイプのポストモダン(文字通りのアプロプリエーション)を臆面もなく反復したり、あるいは、正統にもポストモダンの終焉を具現化しているのだが、歴史的展望に欠けた能天気な最先端を自負して憚らない、といった相容れない潮流がぶつかり渦巻いているからである。
 この状況は、歴史的コンテクストを「分割=共有」(ジャック・ランシエール)できない日本のアートワールドの欠陥や脆弱さを露呈しているのだが、とりあえずこれを背景にして岡田舜の絵画を見ると、まずその特徴として、ポストモダンの過去回帰的なアナクロニズムが浮かび上がる。端的に彼の絵画の主要なモチーフが「ファミコン」の画面だからである。その参照元の1980年代に大ブームを巻き起こしたファミコンゲームについて、岡田は大学時代に興味を惹かれたという。しかし、彼はいわゆるファミコン世代(およそ1965年~1975年生まれ)ではない。はるかに離れた1992年生まれの彼が、制作の素材としてファミコンを手にしたのは大学に入学してからである。
 その意味で、岡田は「ファミコン」に時代的なノスタルジーを感じているのかもしれない。とすれば、制作のモチベーションはなおさらアナクロニズムであり、彼のファミコンのアプロプリエーションは、プロトタイプのポストモダンに属すると言えるのではないか? だが、実際はそうではない。理由は、描かれたファミコンの画面にバグが生じているからである。彼のアプロプリエーションには、元々バグというプログラム上のエラーが引き起こすデフォルメが仕込まれていたのだ。彼は、このバグの画面に魅せられ作品のモチーフにしたという。けれども、絵画に再現されたイメージに彼は満足できなかった。
 そこで岡田は、絵画にさらなるデフォルメを加えることを思い立つ。それが、出来上がった絵画の表面に荒っぽく加筆したり、その上にガラス板を被せることだった。絵筆のストロークあるいはガラスの重みによって、その下に塗られた絵具のマチエールが崩され不定形の色彩が画面に滲む。その現象を目の当たりにして、彼は作品が完成したと確信した。
 これが、岡田の絵画が典型的なポストモダンの表層の織物ではないことを証明する。表層の織物を制作のゴールとするなら、すでに表層の織物であるファミコンの画面のバグを絵画に写し取ったり、さらに加工して変形する必要はないからである。この制作のプロセスで起きていることが、〈再現〉と〈非再現〉の絡み合いであることに注意を促したい。ファミコンの画面を絵画に転写することは単純に〈再現〉である。そのイメージが、絵筆のストロークの勢いやガラスの圧力によって、部分的だが〈非再現〉に変容する。
 このプロセスのある時点における〈再現〉と〈非再現〉の絡み合いの結果に岡田は満足し、筆を擱くことで作品は完成する。したがって、彼の作品は表層の織物でも、またその忠実な再現でもない。では、〈再現〉と〈非再現〉のまだら模様の絵画が彼の心を捕らえて離さないのは、なぜか?
 美術史のアーカイヴから引用した諸断片から成る表層の織物のポストモダン絵画が、要素の組み合わせを消尽して終結するのとは異なり、岡田の絵画は、彼にとっての過去つまりファミコン画面の描写なのだが、同時に制作の手作業という来たるべき未来が介入し、現在において過去のイメージと衝突する。この未来の過去への介入が、彼の絵画制作の核心にあり、〈再現〉と〈非再現〉のまだら模様を生み出す駆動力となる。しかも過去のイメージは、すでにバグというデフォルメを蒙っている。そのデフォルメされたイメージが手作業と衝突するとき、イメージに孕まれた漠たる光が絵具の物質性(マチエール)と奇跡的に融合するのである。
 それが、岡田の〈再現〉と〈非再現〉のまだら模様の絵画の裏で密かに進行していた稀有な事態である。この融合の場面を象徴的に抽出した作品が、岡田の「砂嵐」とタイトルされたシリーズだろう。砂嵐とはアナログのテレビ受像機に映るノイズであり、彼が描くこの砂嵐の絵画は物質化された光の純粋形態のように見える。絵画のマチエールは光を描写(再現)も反射(現前)もしない。マチエール自体が光となるのだ。それを実現するのが、制作における手作業の介入であることを、再度強調しておこう。
 岡田の制作のプロセスに、近年デジタルからアナログへの移行が加わった。ファミコンのソフトをパソコンに取り込み、専用のプログラムで自動的にバグ(デフォルメ)を生成して液晶ディスプレイに表示する。それが油絵のメディウムによってカンヴァスに転写されることで、デジタルからアナログへと移行するのだが、この場合も見かけとは違って移行は完了しない。デジタルとアナログの融合が生じるのだ。このとき画面を覆う絵具の筆触が、アナログの側からデジタルへと架橋するモーメントになる。
 いずれにせよ、なぜ彼はファミコンの画像を出発点にするのか? それがノスタルジーを掻き立てるフックになることは確かだろう。だがノスタルジーの対象が、たんなるアナクロニックな現実でないとすると、それはルイ・マランが言うような「失われた幸福と美のユートピア」ではないか?
 もしこの示唆が正しいなら、岡田にとってファミコンの世界はユートピアである。彼はファミコン世代ではないとはいえ、それがユートピアのモデルになることは可能だろう。では、彼がユートピアを毀損するかもしれないバグを描く理由は、何か? それは、バグが手作業の介入で被る表現の根源的な変化のアナロジーだからである。かつてポロックは形象の輪郭線を切断することで、形象の限界から実体の解放を目指した。それと同じように、岡田はバグによって解放されようとする。だが、何から何を解放するのか? 介入によって対象から主体を解放することを目指すのだ。
 最近の制作で、岡田の絵画がバグのイメージのデフォルメを必要としないように見えるのは、なぜか? それは彼の描法が〈再現〉ではなくなったからではないだろうか。ポロックの後期の絵画に再現的イメージ(形象)が現れたのとはまったく反対である。ポロックは、彼のキャリアのピークで過去と未来を現在において衝突(ドリッピング)させ、表現を炸裂させた。そこで生じた激しい火花は純粋に物質的なものだった。しかし、後期になると彼は未来の展望を見失い、過去に復帰する方途に傾く。逆に岡田は、制作によるデフォルメを破棄することで、デフォルメの再現や現前ではなくデフォルメ自体を選択する。それは後退ではない。冗長なデフォルメを省略して、物質と光を融合するイメージを深化させるのだ。その上で彼は、ユートピアへの彼自身の介入を確認するかのように、画面同士をずらしたり複数の画面を繫げたりするのである。

その行為は、未来と過去が現代において切り結ぶ、マラルメのいう「骰子一擲」の「偶然」である。

岡田舜

1992年 茨城県生まれ
2017年 多摩美術大学大学院美術研究科修士課程 修了
2016年 東京造形大学美術学科絵画専攻領域 卒業

Solo Exhibition
2019年 「retrojective」(Tav gallery)
2020年 「砂嵐」(commune gallery)
2021年「under/stand」(commune gallery)

Instagram
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WEB
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