Nori:次、ユタカくんお願いします。
タカヤマユタカ(以下、ユタカ): タカヤマユタカです。1980年生まれで、出身は京都です。小学校はドッヂボールとミニ四駆とカマキリを戦わせるのがすごい流行ってて、、、
Nori:パンクを好きになったのは?
ユタカ:それはそのかなりあとの、中学校終わったくらい。先にハードコアがすきになりました。もともとその辺が好きな友達がいて、そいつにヌンチャクっていう日本のバンドを教えてもらって。ハードコアなんだけど今っぽい、ハーパンにTシャツのNYスタイルみたいな感じでめちゃくちゃかっこよかった。その頃にスケートもはじめて、そしたら自然と絵を描いたりする友だちが増えたりして、自分も落書きの真似事みたいのをしだしたりするようになりました。僕は洋服でも絵でもバランスとか色合いがすごく大切で、実際に絵を描き始めてそーゆーとこの感度がとても増しました。当時、高校2年で学校辞めて、ROBOT’Sっていう、まだ京都市内で裏原系のブランドが売ってない時代にそういうのを委託販売しているお店があって、おもろいおっちゃんがおって、そこの倉庫の横に住みだして。
Nori:家から追い出されたの?
ユタカ:親父と喧嘩してスケボーとリュックだけもって家出してん。寺町でしばらくホームレスしてて。ある日ぱっと起きたらリュックが盗られててスケボーしかなくて。それおっちゃんに言ったらそこ泊まってええよって言ってくれて、しかもそこで店やってもええ言うてくれて。それが高校2年くらいの、96-7年のころ。で、Tくんっていう友達と出会うんだけど、彼にヒップホップを教えてもらって、自分もラップを始めるんですよね。だからパンクっていうのは入り口のほう。竹下通りでボンデージパンツ買ってもらって、白に赤とグリーンのチェックが入ってて、夏でも穿いてたのは覚えてる。
Nori:その後、上京してどんなことしてたんですか?
ユタカ:最初はラップをしてたんかな。その前に、セックス・ピストルズが好きでセディショナリーズのファッションセンスとかデザインが超やばいと思って、何の計画もなくてイギリスに飛び立つんですよ。でも空港で学校中ちゃうんか、お前嘘ついてるから入れさせへんって言われたんやけど、カクカクシカジカでって伝えたらじゃぁあ3日だけやるって入れてくれたんです。その3日間でワールズ・エンド行って、シャツ買って、3日間グリーンパークでブルーハーツ歌ったりぶらぶらしてましたね。
行く前に、俺もう帰ってこうへんって言ってたから、みんな空港に見送りに来て泣いたりフォトアルバムつくってくれた子とかいたのに、3日で帰って来てたから部屋から出られなかったんですよね。あまりにも暇でTSUTAYAに行ったのを見られてたらしくて、電話がかかってきて「おまえ、居んのわかってるからな」って。それから親父のバイク屋ちょっと手伝った後に、当時付き合ってた彼女が芸能人になりたいとか言うので一緒に上京しましたね。
東京来たばっかりのときは、力仕事をやってたんだけど、全然おもろいやつと出会わないからカフェに転職したんです。当時は今みたいにシャレオツなカフェがなかったんでそんなとこにおもろい奴が集まってたんです。最初は原宿のオーバカナルに入ったんですよ。家具も注文も全部フランス語でめちゃくちゃフレンチな感じなのに、俺、ドレッドでタトゥー入ってて。でも面接が良かったみたいで特別に入れてもらって。そこで出会ったYくんっていう人とよく遊ぶようになって、彼は有名なトランスのレイブパーティとかのデコレーションをやってて、僕はそれに運転手でついていったりして、そんなパーティーライフで良くないものにも出会ったりして 、少しづつ東京の扉を開いていくみたいな。
――目論見通りに面白いところに飛び込むことができた
ユタカ:でも俺トランスはちょっと違うしもっとちゃう所行きたいなと思って当時渋谷にあったワイヤードダイナーになら可愛い子もおるから受けたろ、って面接を2回受けて、2回目で受かったんです。そこで面白い人といっぱい出会って、そこから音楽をバンドの方でやるようになって、ゆくゆくはライブやったりするんですけど。その後、系列店のセコバーに入って、10年間はそこでお世話になりましたね。
――当時はカフェやクラブが面白い人達がいる場所でした
ユタカ:恵比寿のMILKでもよく遊ぶようになって、パーティやらしてもらうようになったりしてワクワクドキドキが止まらない毎日でした。ずっとやってた音楽活動をやめた時ほんまは本屋さんやりたかったんだけど稼げる感じじゃないから何しようかなって。で、友達の紹介でSupreme原宿店で働きはじめて、渋谷店の立ち上げ直後にクビになって。友達のやってたhave a good timeで何年かお世話になって、その後デザイン事務所で働いたり、そこは大企業の会長が持つ日本庭園つくったりしてて、そんなとこにいきなりクリエイティブ・ディレクターとして入ったり、色々しましたね。東京では、スケボーとか絵とか、好きな人と結婚したり23年間ずっと遊んでた最後らへんに楠平くんと出会ったんですよね。